山鹿さんを記憶する

Remembering Yamaka-san

1935

生い立ち

Aug5日。朝鮮半島北東部、ウラジオストックの灯りが見える港町、咸鏡北道雄基かんきょうほくどうゆうき(日本統治時代の地名)生まれ。
父=博、母=千代。3人きょうだい、2番目の長女。

Born in Korea.

1941

Oct太平洋戦争が始まる直前に横浜に引き揚げる。(age 6)
Dec8日。日米開戦。

1944

Dec茨城県瑞龍町ずいりゅうちょうに縁故疎開。(age 9)

1945

Aug神奈川県湯河原に学童疎開。そして敗戦。(age 10)
Oct仮校舎で授業再開。スミで塗った教科書の記憶。栄養失調。

1948

戦後と鬱

Mar逗子の崖から転落し、大腿骨を複雑骨折。
療養中に祖母(青森県の初期のクリスチャン・グループ、「弘前バンド」と呼ばれていた人たちの一員)から英語を習う。初めての英語。(age 12)
Aprキリスト教系の捜真女学校(横浜)に入学。

1949

June19日。牧師だった祖父や、クリスチャンだった祖母の関係からキリスト教の洗礼を受ける。
この頃から長いトンネルに入る。(age 13)

1951

Jan拒食症的症状で高校1年を留年。横浜の病院に入院。(age 15)

1955

Apr国際基督教大学(ICU)入学。第3期生。(age 19)

1957

障害をもつ子どもたちとの出逢い

Jan大学裏にあった障害をもつ子どもの施設に通う。子どもたちから生きることを教えられる。(age 21)

1959

Apr国際基督教大学卒業。
東京都江東区深川に下宿。同区のバタ屋部落のセツルメントで、住民とともに社会運動に携わる。(age 23)

1960

Jan国立秩父学園(障害をもつ子どもたちの施設)の指導員に。
この頃から山歩きを始める。(age 24)

1962

Apr日本社会事業大学研究科に進み、公的保護を専攻。
大阪府大阪市西成区の「あいりん学園」で実習。大阪府教員試験に合格。(age 26)

1963

Apr横須賀キリスト教社会館で、3年間、ケースワーカーとして働く。(age 27)

1966

初めてのアメリカ

Aprソーシャルワーカーのための国際プログラム、「CIP」で初渡米。オハイオ州クリーブランドに7カ月滞在。
この頃、キリスト教の重圧から解放される。(age 30)

1967

Apr帰国。
早稲田大学国際学部(当時)で、米中西部12州私立大学連盟(当時)の嘱託職員としてアメリカ人学生のケア。(age 31)

1969

Janベトナム戦争に反対する米軍の良心的脱走兵を支援する活動に携わる。(age 33)

1971

再びアメリカへ

Aug再渡米。
オハイオ州クリーブランドのケースウエスタン・リザーブ大学・社会事業学部大学院に入学。(age 36)

1973

May同校にて修士号取得。(age 37)

Julyフィラデルフィアで、非暴力社会改革を目指すコミニュティに住む。生業のために翻訳開始。

1975

アジア太平洋資料センター(PARC)

June帰国。(age 39)
Aug40歳の誕生日に単独で雲取山登頂。長かった精神的トンネルから抜け出る。
アジア太平洋資料センター(PARC)に関わり始める。(age 40)

1978

Mayアジア太平洋資料センターを通じ、漁民研究会、鶴見良行氏らの「エビ研」、三里塚の空港反対運動、反核・反原発運動ほか、市民運動やデモに参加。(age 42)

1979

1980

Mar横須賀の市民運動で通訳のボランティア。(age 44)

1981

May反公害グループで、太平洋への核廃棄物投棄反対の国際署名を仕掛けるべく英文のニュースレター発行。(age 45)

1982

1983

「リングァ・ギルド」のちょっと不思議な社長さん

Dec生活や活動のために携わっていたPARCの翻訳部門が、「リングァ・ギルド」を設立し株式会社としてスタート。設立2年目から代表取締役に。(age 48)

1984

1985

1988

Dec30日。母、千代逝去。享年80歳。(age 53)


焼き鳥屋の上のリングァ・ギルドのオフィスで。

1990

Jan「竹森茂子おんなの自立と身体」ヨガ教室に参加。元気に老いる準備開始。(age 55)

1995

Jan20年歳下のデザイナーとの共同生活解消。元気に老いる準備開始。(age 59)
Aug5日。4日に開かれた「60才感謝の夕べ」宴会中に還暦を迎える。(age 60)

1996

Apr25日。父、博逝去。享年96歳。(age 60)

1997

Apr数十年ぶりに、築83年の横浜の実家に戻る。(age 61)

2003

さわやかに古希をいく

Octリングァギルドの代表取締役を降板。翻訳やアドバイスを続けることで、会社をサポート。(age 68)

2004

Dec仕事中心ではない新しい人生のスタートを機に、「老年1歳」のパーティを開く。(age 69)

2006

May半年間、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」(新潟県)にてボランティア・スタッフに。70歳を記念してアフロヘアに。(age 70)


大地の芸術祭。犬小屋もアート作品。


@神保町オフィス。

2007

Augリングァギルド退職。(age 72)
Dec「非核市民宣言運動・ヨコスカ」の事務所でボランティア開始。(age 72)

2008

横須賀にて

Sept「非核市民宣言運動・ヨコスカ」主宰の月例デモに参加。デモは生涯続けた。(age 73)

2012

June(age 77)


ネコとお見合い。リリーとジンジャーが家に。

77歳を記念して「喜寿から見える今の社会」を開く

July

2013

Jan(age 77)


2013-01-14  二十歳の自衛官へ手紙を渡す山鹿さん。(撮影 今井明)

2015

Oct(age 80)


2015-10-01 平和船団の山鹿さん。(撮影 今井明)

2016

Mayベトナム戦争当時、米軍の良心的脱走兵の支援運動に関わったことをじょじょに公に話す。(age 80)


2016-9-25 ゲート前でアピールする山鹿さん。(撮影 今井明)

2017

Sept肺がんと診断される。(age 81)


2017-08-27 山鹿さん、ずっといっしょですよ。 (撮影 今井明)

2018

「ふぇみん」にインタビュー掲載


2018-02-25 横須賀基地ゲート前で


2018-03-25 山鹿さん発案で実施した米軍兵士アンケート。(撮影 今井明)

2019

Jan肺がんが再発。ステージ4と診断。抗がん剤治療を3度うけるが中止を決意。

2020

2021

最後の日々

Jan肺がんによる呼吸困難のため入院。(age 85)
Feb6日。逝去(満85歳)。
生涯に一緒に暮らした猫17匹、犬2匹。(age 85)
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