山鹿さんを記憶する

Remembering Yamaka-san

リングァ・ギルドの代表取締役を1984年~2006年まで務めた山鹿順子(1935~2021)を記憶するページです。

This is the website for remembering Yamaka Junko (1935–2021), Representative Managing Director of Lingua Guild (Tokyo), from 1984 to 2006.

写真と執筆でたどる山鹿さんの85年 ちょっとトリビア

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山鹿さんを想うThinking of Yamaka-san

山鹿順子さんを想うあなたと山鹿さんをつなぐストーリーを写真で綴るアルバムです。

A photo album showing the connection between you and Yamaka-san.

山鹿順子

やまかじゅんこ|1935年8月5日朝鮮半島•咸鏡北道かんきょうほくどう雄基ゆうきで生まれる。太平洋戦争が始まる直前の1941年10月横浜に。茨城県瑞龍町ずいりゅうちょう、神奈川県湯河原に疎開。10歲で敗戦を迎える。1960年代半ばから1970年代半ばまで通算約5年間のアメリカ暮らし(非暴力社会変革を目指すコミュニティなど)。帰国後、初期のアジア太平洋資料センター (PARC)、漁民研究会、三里塚の空港反対運動、反核•反原発運動など市民運動に参加。1984年リングァ•ギルド代表取締役就任。2006年、新たな人生を求めて、「大地の芸術祭(越後妻有アートトリエンナーレ)」に住みこみボランティアとして参加。その後、横須賀で原子力空母に反対する活動など市民による反戦•平和活動に復帰。生涯に一緒に暮らした猫17匹、犬2匹。

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